007|思い出の赤ちょうちん 〜梅の花ものがたり〜

当時90歳だったM様は、羽田の漁師町で生まれたちゃきちゃきの江戸っ子。

息子様がいらっしゃいますが住まいは別、旦那様とは早くに死別し独居だったため、ほぼ毎日、茶話本舗デイサービス梅の花に通われていました。

ご自宅では危ないとの理由でガスやお風呂の使用が禁止されていたので、もともと趣味だったおやつ作りが出来なくなり、大好きなお風呂にも入れず、毎日のように「早く死にたい」と仰っていました。

 

ある秋晴れの空が気持ちいい朝、M様をお迎えに行くと、

 

「今朝、息子と電話で喧嘩をしたから外に出る気分じゃない。デイサービスには行きたくない」

 

と外出を拒まれました。私はすぐに管理者に電話をしてM様以降の送迎を他スタッフに代わってもらい、まずはM様のお話しをゆっくり聞くことにしました。

 

M様が大好きで一年中食べているというみかんを頂きながら、M様のお話をひたすら聞きました。

少しずつM様も落ち着いてきて、私たちは色んなお話をしました。

M様に笑顔になって頂きたくて、M様に元気になって頂きたくて、私は必死でした。

 

「Mさん、みかんの食べ過ぎで手が黄色くなっていますよ」

「私はMさん一緒にいたいから、Mさんと一緒じゃなきゃ事業所に戻りません」

「Mさんも頑固だけど、私も頑固なんです」

 

くだらない話も交えながら一緒に何個目かのみかんを食べて、  2時間程経った頃、

「あんたには負けたよ。じゃあもう梅の花に行こう」

M様は笑いながらそう仰いました。

 

そのことをきっかけにM様は私に対して心を開いてくださるようになり、私だけに秘密のお話や相談をしてくれるようになりました。

毎日くだらない冗談を言い合ったり一緒におやつを作ったりすることが私自身もM様と過ごす時間が楽しみの一つになっていきました。

それでも、時折見せる淋しそうな表情と「早く死にたい」という言葉がなくなることはありませんでした。

 

ある日テレビでやっていた浅草特集を見ていて「若い頃によく行ったわよ」と浅草で楽しく遊んだ時のお話しを教えてくださいました。

その後、何日も浅草の話をし続けているので

「Mさんもうすぐお誕生日ですし、一緒に行きましょうか?」

と提案してみると

「うん!行きたい!」

M様のそれはそれは嬉しそうな笑顔。これは行くしかありません。

管理者にM様と浅草に行きたいと相談をし、お誕生日祝いとして一日かけて浅草に行くことになりました。

私はM様が好きそうなお店が車椅子でも入れるお店かどうか調べ、スケジュールをたてました。

 

そして当日。

 

8月の暑い日でしたが、熱中症対策等も万全にしてM様と私は10時半に事業所を出発。

車中でのM様は遠足に来ている子供の様に無邪気で楽しそうでした。

けれども浅草に到着し雷門を目の前にすると、懐かしい光景がよみがえったのでしょうか。瞳にじんわりと涙を浮かべ、じっと景色や行き交う観光客を眺めるM様。

 

「ほらほら、ここからですよ!行きましょう!」

私はM様の涙には気付かない振りをして、声をかけました。

 

「そうだね!行こう!」

それから二人でお参りをして、雑貨屋さんを巡って、一緒のものを見て、一緒に笑って。楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。

浅草を満喫し、予め予約しておいたM様ご希望の焼肉屋さんで昼食をとっている時でした。

美味しい、美味しいと満面の笑みだったM様の瞳から突然、大粒の涙がこぼれました。

 

「本当に来れたんだね。私、長生きしてよかった。ここ(梅の花)に通っていて本当によかった」

 

それから数年後、M様はお亡くなりになりました。

「こんなに長生きしなければよかった」と思っていた M様に、生きていることを嬉しく思っていただけたこと、生きていることの幸せを感じていただけたことは、この仕事をしていく上での私の誇りになりました。

 

「通っていてよかった」と思ってもらえる事業所を作りたい。M様が私に夢を与えてくれました。

 

今でも梅の花のドアに飾ってあるのはM様が「梅の花スタッフみんなへのお土産に」と買ってくださった浅草土産の赤ちょうちん。

 

ご利用者様をお迎えする度に「ちりんちりん」と鳴るその鈴の音は、「夢を忘れるな」というM様から私へのエールになっています。